スポーツの意義は、心、技、体を鍛えることが目的です。
そして、試合(ゲーム)は、練習して鍛えたそれらを試す場です。
本当の殺し合い(言葉が悪くて済みません)であればルールなど関係はないのでしょう。
しかし、ゲームなので
公平なルールの下でフェアにプレーする
これが大前提となります。
もう一つ、考えていただきたいことがあります。
人間の成長についてですが、成長の早い人と遅い人がいます。
この違いは、一言で言ってしまうと「自立しているか、いないか」の差です。
自立している人間は、まず目的(目標、夢、将来像)をしっかり持っています。
そして、今の自分は、何が出来て何が出来ないかをしっかり考えています。
出来ていることには自信を持ち、出来ていないことはしっかり練習(勉強)します。
試合をして、自信を持っていることが本当に出来たか?
練習してきたことがしっかり出来たか?
新たな課題がないか?
等々をしっかり確認し、また目標に向かって自ら練習します。
他方、成長の遅い人は、目的があやふやです。
目標や夢を持っていない、持っていても願望でしかなく、どうしたら達成できるか真剣に考えていません。
したがって、自分から努力はしません。常に他人からの指示を待ち、練習の意味も分からず嫌々こなすだけです。当然成果は良くありません。
そして、成果が良くないのは、出された指示、あるいは、指示を出した人が悪いと思っています。(自分が努力していないことからの退避)
さて、本題に戻ります。
試合とはこのような場ですから、本来プレーヤー自身でゲームを運んでいかなければなりません。
ゲーム中、自分で戦略を練り、決断し、行動する。結果が出なければ、また戦略を練り直して行動する。
このことが、本当に自分自身でできたならば、たとえ結果が敗戦であってもその人間は成長したと言えます。
「相手の応援より、自分たちの応援が多かったからとか、監督コーチの指示が良かったから勝てた。」
では、本人の本当の成長につながったと言えるでしょうか。
人間の成長という観点から考えると、勝たせようとする応援やベンチコーチングは必要ないのです。
他人の影響があってはならないのです。
これが理解できていないと、マナーは守れません。
ソフトテニスハンドブックには、審判規則第20条(警告)の解説27に
そのマッチが行われているコート内の関係者(プレーヤー、部長、監督、コーチ、当該チーム(ペア)応援者の総称)の応援(発声)は、競技の盛り上がりとして認める方向にあるが、それが行き過ぎ、不快感となり、プレーに支障があるとアンパイアーが判断した場合は第19条の注意の喚起、あるいは、第20条の警告を適用する。
とあります。
具体的に、どういうことがマナー違反と思われるかを示してみます。
プレーヤー:相手を心理的に威圧するような行為をすること。あるいは、かけ声を発すること。
行為;相手をラケットや指で指し示すこと
ネットの最前に出て大声を上げたり相手をにらみつけること
流れを変えるためになかなかサーブをしなかったりレシーブ態勢に入らなかったりすること。
ワンプレーごとに打ち合わせや、握手をしたりすることなどです
かけ声;サンキュー、ありがとう、もうけたー、馬鹿、アホ、下手くそ など
(ラッキー、やヨッシャーなどは程度にもよりますが問題はないのではないでしょうか?)
顧問、監督、コーチ(自分の指示や行為、あるいはかけ声でゲームに勝たせることが出来るの
だと思っている方がいます。)
行為:ワンプレーごと指示(サインを含む)を出すこと
フェンスの外から指示(サインを含む)を出すこと
アンパイヤーに自らあるいはプレーヤーに異議を唱えさせたりすること
ゲーム終了後、プレーヤーにジャッジペーパーを本部に提出させない、あるいは敗者審判に入らせずコーチングをすること
かけ声:相手を威圧するような大声を出すこと などです。
応援団(ルールやマナーをしらないため思わずかけ声をかけてしまう保護者の方がいらっしゃいます。)
:相手を威圧するようなかけ声をかける
アンパイヤーのジャッジに異議を唱える
アンパイヤーのコールが終わり、プレーヤーがサーブの態勢にはいっていてもかけ声をかける
審判がカウントをコールしようとしているのに応援を止めない
ワンプレーごとにフェンス越しに指示を出す
などではないかと思います。
判断する基準は、公共の電波を使ってテレビに放映できるかどうかを考えていただければいいかと思います。
この後の記述は、質問と少し離れてしまいますが、良い機会ですので書かせていただきます。
ゲーム終了後、烈火のごとくプレーヤを怒鳴り散らしている顧問の先生、監督、コーチ、保護者の方を時々見かけます。
しかし、その行為は、本当に本人の為なのでしょうか?
私も、かつてはそのような行為をしたことがあります。
その時の心理を自分自身で分析してみました。
思うに、その行為は自分の思い通りにならなかった、あるいは、しなかったことへの怒りをプレーヤーにぶつけているだけなのではないでしょうか。
「プレーヤーは、自分の所有物ではない。自分の思い通りにはならない。一つの人格を持った、一人の人間だ」と言うことを忘れてはならないと思います。
顧問の先生、監督、コーチ、保護者の方の役割は、プレーヤーが日々の練習の中で早く成長できるように指導することではないでしょうか?
指示を出すのではなく、「自身が考え、決断、行動、検証する」プロセスが出来るよう「やらない自分 出来ない自分」に気づかせてあげることが本当の指導ではないでしょうか?
日頃そのような指導をしないで、試合の時だけ夢中になって指導をする。
何か違うように思います。
大変長々と書いてしまいました。申し訳ありません。
尚、不明な点、ご意見あるいはお叱り等がありましたら返信してくださるようお願いいたします。
新庄地区ソフトテニス連盟 会長 内山 晴道